みちびき

四国でなくとも西国三十三でもあまり変わらなかったかも知れません。なぜ四国か、というのは簡単な質問で、私の場合は単に新幹線で遍路姿の団体を見て、ああそういうのもあるのか、と事前に存在を知っていたからでした(新幹線の2両分くらい全部白装束でしたから何も知らないゆえ軽いカルチャーショックでした)。秩父は別として暫くして西国とか知多にも巡礼があることを知ったくらいです。また一番札所で曹洞宗でも大丈夫か訊くつもりでいて、あかんかったら戻ろうか、という程度でした。

霊性というものは私はあまりなくて、というのか鈍いのか、まったく霊性に関する経験はありません。遍路経験者内で有名なサイトの掲示板で霊性について書き込みが最近結構あったのですが、案外そういうことはあるのかもしれません。もっとも、トンネルというのはとても物理的にも心理的にも怖くて、ああ、ここら辺で命を落としてもおかしくないというところもあります。まだ私は死は怖いですね。

21番太龍寺から22番平等寺へ向かうとき、犬が値踏みするような目でコチラを睨み、で、先導というか遍路道ぞいに少し誘導してくれたことがあります。おお、これが同行二人というやつでお大師様が迷わんように助けてくれたのかな、とか感激したのですが、なんのことはない、野良犬で遍路道を遍路に付き添って歩き暮らしている犬らしく、他の方の場合は22番まで先導していました。どちらにせよ、迷わずすんなり行けたので感謝なのですが。

団体さんの場合、たいてい先達さんという何べんも廻られたベテランの方が就きます。その先達さんがお遍路さんを導くのですが、お遍路特有のヒラエルキイがあって、先達さんつきのお遍路の団体の場合はたまに互譲とかありません。どかん、と真ん中のよい位置に陣取ります。あきらめて我慢するしかないのです。理不尽と感じたこともありますが、向こうに悪気があるわけでもないので仕方がなく、一応遍路の最中でであった事象についてはすべてお大師様の導きであり修行と捉えねばならないのですが、耐える、というのは案外たいへんです。