福神漬けチャーハン

少し前に貰い物の手つかずの福神漬けの活用法について書いてて、チャーハンにするかもなどと書いたのですが、しばらくの間やはり手をつけずにいて瓶と中身を鑑賞しては「漬物でチャーハンか…」などとやっていました。これを書いているのは踏ん切りがつかない優柔不断なヤツです。でも高菜のチャーハンがあるくらいならなんとかなるか、と考えてこのゴールデンウィーク中に豚とネギと卵などを加えて作ってみました。火加減に留意して、福神漬けの汁気を少し残しながら醤油と塩で味付けしたところ、想定より上手く・美味くできてます。

いっぺん成功すると現金なもので塩気のある漬物ならチャーハンは美味いのではないか、野沢菜とかしば漬けでやってもいいかも、なんてことをちらちらと考えたのですが、深追いはしないつもりです。

というか至極あたりまえのことかもしれませんが、チャーハンって奥が深いですね。

伊豆に水を見に

土日に2日間ほど伊豆へ行ってました。

東海道線の三島と沼津のあいだに柿田川というのがあります。富士山の伏流水が湧いて出てくる場所として有名なところで、目的地へ行く前にまずそこに寄り道しました。

写真は柿田川のほとりのいまは稼働していない紡織工場の井戸の跡です。枯れてないのでいまでも湧水があります。水は太陽光のうち青い光を吸収しない、ので、陽光が水面に差すと青い光は反射して水面が青く見える、というのを知識として知ってはいて、でもそれを目の当たりにするとやはり唸っちまうところがあります。

不思議なもので…ってちっとも不思議ではないのだけど、陽が射さない別方向からみるとちっとも青くありません(雹が降る前で曇りがちの天気でもあった)。青さは光の影響であることがよくわかります。そしてくだらないことなのですが正円って見ていて飽きないな、と思いました。

不思議ついでに書くと富士山に降った雪や雨水が水を通しやすい地質を経て柿田川に湧き出てくる、というのは理屈ではわかっていますが、理屈を通り越してなんだか不思議だよなあ、と感じてしまったところがあります。

写真左斜め下から右上にかけてが該当するのですが、井戸ではない川床からも湧水が観察できる場所があり、やはり眺めてて不思議と飽きません。良い意味での時間泥棒です。湧水なので水面は変化します。ゆく川の流れは絶えずしてしかし元の水にあらず、ってありますが全然違うかもしれぬもののあの書き出しが妙に腑に落ちてました。4月が忙しくて今回プランニングを申し訳ないけど同行者に丸投げというかほぼ任せてて、柿田川と聞いてわたしは浅はかなところがあって水をみてどうするの?寄ってどうするの?と現地につくまでは口には出さずに内心思っていたのですが(正直に話して詫びた)、すげーもん見たぞ感があって良い方向に予想が外れ、時間をかけて散策しました。

ほんらいの目的地は伊豆長岡の温泉です。ぬるっとしたお湯で、効能を斜め読みする限り美肌に効果があるのだとか。美肌に興味があるわけではありませんが堪能してきました。

翌日は沼津へ。昭和44年まで現役だった御用邸跡を見学。沼津の空襲で大半は焼けて現存せず(再建はされなかった)、華族の別荘を買い上げた部分や上で皇居から移築した建物からなる付属邸2つが残存しています。うち、西付属邸が常時公開されています。

日光の田母沢御用邸を見学したとき、独特の和洋折衷と感じたのですが

沼津も同じで、謁見所なのですが畳の上に絨毯敷き、その上に椅子と机、床の間という和洋折衷です。右窓際の竪繁障子と、上部の筬欄間といって縦の桟を多数入れた欄間などをみると和を簡易にしないでいる匠の意地をうっすら感じました。

居住スペースの御座所、つまり居間で、ここも和洋折衷で床の間ありの畳敷きに絨毯敷きとソファです。

御座所の次が寝室等になるのですが、廊下がやんごとない生まれの方々用と窓際のそうでない人用にわけられています。やんごとない生まれの方々が通る廊下の天井をご覧いただきたいのですが、照明が脇に寄ってて頭上にならないように設置されてて唸っちまったのですが、漠然といまの御所はどうなってるんだろうと興味が湧くものの、さすがに見学の機会は無いだろうなあ。

不思議だなあと思ったのは火気のない盛り付け用の供進所という設備があることです(盛り付けのためか採光用の天窓がある)。別にある調理所から出来上がった料理を運び込み、ここで盛り付けていたという説明書きがあったのですが、調理所でそのまま盛り付けるわけにはいかないのかとか、焼き鮭とかの和食やカレーは別としてナイフで卵を切るような半熟オムライスとかどうしてたのだろうかという単純な疑問が。半熟オムライスはともかくとして、出来立てではないちょっと冷めた食事しか供されないとするなら、やんごとなき生まれの方々というのはなんだか悲しい地位だなという気が。

でもって建築が専門ではなくても、御用邸跡はわりと興味深い施設でした。

数年前、清水で生桜海老を入手して、しょうが醤油で食べたら美味かったので、帰京する前に沼津で生桜海老を調達しようとしました。が、見当たらず。桜海老の佃煮は売ってるのですが、それじゃ意味がありません。同じ駿河湾に面しているのに不思議だなあ、と思っていたらどうも駿河湾全体で桜海老が不漁のようで在庫があるところはあるらしいのですが、あっても高値らしかったり。残念。でも代替に買ったキンメの干物が美味かったので充実した休暇になりました。

野暮を承知で

残念ながら10連休ではなくて今日は出勤でした。

 

勤務先の近くの金券ショップです。特に用は無いからべつにかわまわないんだけど、野暮を承知で書くと新天皇即位を祝うことと休業の関係にかすかな違和感が。なんだろ、世の中すごい不思議な空気というか、祝わねばならぬ空気というか、ぬるっとひとつの方向へ動いてる気味の悪さがなんとなくあります。杞憂ならいいんだけど。

ついでに書くとイトーヨーカドーは明日から初売です。野暮なんすが初売って正月じゃなかったっけ?

本を読むこと(加筆あり)

なぜ本を読むのか・文学があるのか、ということをたまに考えることがあります。

大江健三郎さんがノーベル文学賞をとった前後、大江さんは光ちゃんが音楽で世界とつながったことに関してそれまで光さんと世界をつなぐ役割をしてやろうという自分の文学の目的を必要としなくなり、いったん断筆します。文学評論をやっていた中島梓さんはその意味をちゃんとうけとり、「文学は、水頭症の子供を抱えるひとりの文学者を救わなかった。文学者を救ったのは音楽だった」ってことに危機感を持ち「文学をころしたのはだあれ?私だわ、と大江健三郎はいった」という文章を書きます。中島梓さん自身が「文学は飢えた子供の前で有効かどうか・救えるかどうか」というテーマを不幸にもどこか意識してる・もってしまってる人なので、「文学は文学者ひとり救えなかった」という事態に危機感を持ちそう書いたわけです。大学生だった私はバイト先でそれを読んでいます。読んでしまった私は「文学はなんであるのだろう」という素朴な疑問を持っていまに至ります。同時に文学が文学者を救えなかった事態になってなお文学の本を読む意味はどこにあるのだろうということに関してちらちら考えるようになりました。その後大江さんは(おそらく伊丹十三さんの死に関連して再度小説を必要として)「取り替え子」など再度執筆を再開し(そのことによって大江さんの個人的体験が昇華されたなら文学はすくなくとも大江さん一人を救ったのだけど)、中島さんは闘病の末向こう岸に行かれてしまいますが、(取り替え子によって文学は大江さん個人を救ったとしても)「文学はなんのためにあるの」という私の素朴な疑問は明解もしくは明確な答えがないままです。もちろん文学部卒じゃないからその疑問は切実なものではありません。でも文学ってなんであるんすかね。そんなもの関係なくなんとなく文学畑の本や文学畑じゃない本を読んでしまうのですが。

話はいつものように横に全速力で素っ飛びます。

記憶に間違えなければ出雲大社で頒布していたものだと思うのだけどいまの皇后陛下が外国で読書体験に関してスピーチしたものを冊子にしてあるのを前に読んだことがあります。そのなかで子供の頃に新見南吉の童話や魅力的な短い詩やユーモア小説を読んだことに触れながら戦時中に読んだ児童向け名作選の中に嘆きで終わるロシアの悲しい短編を読んだ記憶にも触れられていて、なぜ悲しい短編が入っているのかということに関して、編集者の意図を推測しつつ、本を読むことを通して生きている限りは避けることのできない悲しみについて備えさせるためではなかったか、とありました。でもって悲しみや喜びに思い巡らす機会を与えてもらい、人生のすべてが単純ではないことと、複雑さに耐えていかねばならない、ということも読書から得られたこととして述べてあったはずです。はずですってのは探しても手許にありませんし、読んだのは一回こっきりで簡単なメモしかありません(すごいもん読んだぞ感があったのでメモをとっていた)。でもなんだかすごく腑に落ちてて、そもそも文学がなぜあるのかという問いとは全く関係ないものの、うなづけて、書けば書くほどビー玉をボールペンで転がすようにあちこちへ転がり空疎なのだけど、本を読むことの意味を改めて教えられたような気がしました。

皇后陛下のスピーチ文を読んで私が持つ素朴な疑問のひとつである「文学が何のためにあるのか」については相変わらず「わかりません」し、その疑問に関係なくやはり本を読むことには変わりはないです。でもなんだろ、他者の喜びや悲しみに思い巡らすことや単純ではない複雑さに耐えることが人間にはできることは、本がきっかけで知ったことであった気がしますし、それらは文学の(間接的ではあるけれど)存在意義のひとつではないかという気がしないでもないです。

皇室関係のこの30年の変遷のテレビのダイジェストをちらちらっと視聴しながらほんとはありがたさにむせび泣いて感謝しなくちゃいけないのかもしれません(311の直後、千代田区内は停電しないと判明しても自主的に節電をしていたことをあとから知ってちいさな衝撃を受けた)。が、それよりも、偶然読んだ皇后陛下の一文を思い出してあれこれ思索にふけっていました。わたしは慶事に文学にうつつを抜かす不真面目な非国民であったりします。でも平成の間に貰ったひとつの果実≒本を読むことに関してのスピーチは不真面目な非国民になるほど私をとらえて離さなかったのですが。

ストレスのこと

東京は蕎麦文化圏です。東京出身の「坊ちゃん」は赴任先の松山で蕎麦屋を見つけて天ぷらそば4杯喰おうとします。しかしそれを目撃され、翌日生徒にからかわれます。この話が私がおそろしいと感じたのは面白い話になってるようでありつつ他の人がしないことをすると吊るし上げる環境をさらっと書いてることです。いまにも通じるテーマではないかと思ってて、主人公にとっての悲劇的環境は笑いになり得て、笑いと表裏一体の悲劇は文学になりうるのだなって思わされるのですがって(注:この文章を書いているのは文学部卒ではありませんから本気にしないように)、文学の話をしたいわけではなくて。以前十二指腸潰瘍をやったときNGなものがありました。簡単に書けば脂っこいものと消化に悪いものです。天婦羅も蕎麦もダメ。この二つは完治するまで我慢したものの、喰えない期間が長くなれば恋しくなりますから、喰えない時期が長かったであろう天ぷらそばをもし喰う機会が訪れたらそりゃ坊ちゃんが4杯喰うのはわからないでもないな、と思うようになってます。ついでに書くと「草枕」には執拗な羊羹の描写があるのですが、羊羹は消化器系に潰瘍があるとNGです。漱石が上部消化管系の潰瘍を長いこと患ってたのを知ると羊羹も天ぷらそば4杯も漱石が喰いたかったのではないか、というゲスな勘繰りをしています。いっぺん消化器系の病気をしたら(十二指腸潰瘍ごときで病気といっていいのかどうかはわかりませんが)いままで見えなかったものが見えてきて、人にとっては喰いたいという欲望はでかいし、喰いたいものを喰えないという嘆きもこれまたでかいことなのかもしれないな、と思うようになりました。私が十二指腸潰瘍から得た最大の果実はそこらへんなのですが眼科の都合で痛み止めナシだったので、あたりまえのこととしてもう一度十二指腸潰瘍を体験したいとは決して思いません。

十二指腸潰瘍の原因はストレスかもしれぬ、とドクタから云われています。料理することが気分転換になるのでそれがストレス発散のつもりなのですが、やってても十二指腸潰瘍になってしまったので効果のほどはわかりません。二度と体験したくないのでストレスをためないようにと考えているものの、しかしストレスといってもクレアチニンのように指標があるわけでもありませんからストレスがたまってるかなんてわからず厄介です。はてな今週のお題トリプルヨーグルト×はてなブログ特別お題キャンペーン「私の生活習慣」

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なのですが、ストレスを減らすための生活習慣にしようとして帰宅後、赤ワインを一日一杯飲んでいた時期もあります。良い気持ちになって平日でも「よし、もう一杯行こう!」となりがちなので途中で止めてます。たぶん酒が人間をダメにするわけではありません。酒はおのれがダメであることを確認するためのあるのかと思いましたって話がズレた。いまのところゆっくり風呂に入るくらいしか思いつかず、それを実行していますが、可視化できないストレスをなんとかするための生活習慣に関して試行錯誤しています。

念のために書いておくと現在身長が175cmで体重は18からこっちは60±5kgで増減する程度です。腹筋はわれていませんがメタボとは無縁です。去年の健診のデータを引っ張りだすと血圧が上が107で下が54、血糖値は88で、中性脂肪は71です。どれも月並みな数字で、森永乳業には悪いのですが、なんとかヨーグルトはもちろん摂取していません。あとは腹部超音波をやると胆管が狭いとずっと指摘されてて(料簡が狭いと指摘されるよりマシなのですが)揚げ物は控えたほうが良い、といわれてるので、天ぷらそば4杯は夢のまた夢であったり。

両親は共に平均寿命まで生きながらえることができませんでしたし父方も母方もがん患者が多いのでそれほど長生きできるとは思ってないです。のですが、痛い思いをするのはイヤなので健康でいたいなあという希望はあります。ただ希望という字を分解するとメに布で望むものなのでえてしてなにも現実を直視してない望みかもしれません。しかしちょっとだけでもいいので健康に良さそうなことをして・ストレスを減らす努力をしてあがいてみるつもりです。

軽薄な人間の30年

平成がはじまった頃は十代半ばで、それから30年を経ていま四十半ばです。はてな今週のお題は「平成を振り返る」なのですが、ひとことで言ってしまえば想定外の連続です。いまから三十年前には四十過ぎてたらマトモな大人になってるはず、という希望的観測がありましたが残念ながら、年に数回は炊飯器をセットしておきながら電源を入れ忘れる程度に・年に数回前夜にメガネを定位置に置かず朝になってどこに置いたかを忘れてメガネメガネ…と捜索する程度に、どこかぬけてるおっさんになり果てて想定していたマトモな大人にはなっていません。それ以外にも、この30年の間に両親が病気で居なくなるとは思っていませんでしたし、お年玉を預けていた拓銀が倒産するとは思いませんでしたし、文章はそもそも読むだけだったのに誰が読むとは知れぬ文章をつらつら書くようになるとは思いませんでしたし、品のないことを書くと童貞はともかく処女を無くすとは思っていませんでした(これを書いているのは性的マイノリティに属する奴です)。ほんと想定外のことが多かったです。

想定外のことが多かった≒想定できなかったことが多かった、ということを告白したうえで、続けます。

平成の間、ほぼ忘れなかった曲にB'zの曲の「孤独のRunaway」というのがあります。おそらく発売は平成2年くらいで、おそらく忽然と姿を消した人間をモチーフにした曲なのですが、そんな中に

JUST RUN AWAY止めないでよ後悔は少なめのMY LIFE
B'z「孤独のRunaway」

ってのがあって、逃げ出すことはできないのですが、何度も聴いてるうちに曲中の「後悔は少なめ」というのをひとつの判断材料にするようになっています。想定できなかったことが多かったこの30年で、未来のことなんてまず霧がかかっててそんなに簡単に見通せませんでした。先の読めない状況を前にしたとき複数の選択肢からある選択をせざるを得なかったとき、その選択した選択肢が妥当かどうかは即座に判断しにくく、また選択しなかったほうの選択肢を仮に選択してからといって事態がうまくいく保証は必ずしもあるわけでなく、どっちにころんでも精神の安寧が訪れることはあまりあるわけではありません。ですから私は選択肢を選ぶとき、「後悔は少なめ」なほう、という軸でなるべく判断してます。平成の間、特にこの20年はずっとそんなことをしてきました。その結果、恥をかいたり余計な苦労をしたり、なんてこともしています。でも後悔はほとんどありません。

曲中、

愛を殴ってみよう、義理を蹴飛ばしてみよう

B'z「孤独のRunaway」

 ってのがあって、たとえば愛ゆえなのか「ここでことを荒立てないほうがあなたのため」といわれても中途半端に妥協してしまうとあとで後悔することになるかもと考えて蹴飛ばして妥協しなかったり、同じ後悔をするのならあとで「なぜしなかったのかという後悔」をするより「してしまった後悔」のほうが絶対良いはずと確信して義理を蹴飛ばしちまうけど前任者のしたことを是認すると後悔すると考えてひっくり返したこともあります。そんなふうにロックの曲に影響されちまってる軽薄な人間です。もちろん、失敗したり判断が甘かったことを恥じることはあります。でもあまり後悔していないのです。

おのれの中でこびりついたことは、新しい元号の世の中になったところでたぶんなにも変わりません。もっとも小指を柱にぶつけるたびに注意深い人間にならないとな、と痛みを堪えながら思うので、そこらへんは変えるつもりはあるのですが。

ブラタモリ甲府盆地

録画していたブラタモリ甲府盆地の回を視聴しました。面白かったです、で済ませるのは惜しいのでもうちょっと書きます。

番組では終盤に勝沼が取り上げられていました。勝沼は傾斜地もあり米作に適さないところもありなおかつブドウがずっと栽培されていたのは番組内でも説明がありましたがそれは間違いありません(果物のことを水菓子といって江戸へ出荷しています)。しかし戦前は養蚕もさかんでブドウの木のほかに桑が植わってて、田中銀行という繭を担保に資金を貸す銀行も勝沼には存在していたくらいです。ただ養蚕が傾きはじめたあとに桑の代わりに植えたのが勝沼ではやはり

ブドウで、結果として現在のように勝沼はブドウ畑だらけになり駅名までいまは

勝沼ぶどう郷」です。ついでに書くと笛吹川流域などでは養蚕の衰退とともにブドウのほかに桃が植えられ、甲府盆地東部はブドウと桃の産地として有名となります。番組の内容は決して間違ってはいないのですがフルーツ王国になったことや個人的にはいまの甲府盆地の光景は昔からではなく養蚕の衰退とセットであることにも触れてほしかった気が(蚕種商人の末裔なので)。

もうひとつ、酒石酸も番組内で触れていました。酒石酸はワインに石灰を添加して採取されそれが音波探知機に使われていた、という説明でした。たしかに酒石酸ワイン醸造時に発生します。ワインの瓶の中にあるのは酒石といい、酒石酸がミネラルと結合して酒石になります。酒石酸は酸味に関係してありすぎるのも困るので、ワイナリーによって考え方が違うのですが、いまはステンレスのタンクにブドウを突っ込んでワインを発酵させたあと、そのあと冷却すると酒石酸とミネラルが結合した酒石が沈殿してゆくので上澄みをボトリングしたりする製法もあります。(番組内で写ってましたがボトリングした)瓶内に酒石がある瓶は不良品ではないし、酒石がない瓶が不良品、というわけでもありません。なんだろ、ほんとはそこまで説明して欲しかった気がするのですが、ゼイタクかもしれません。

細かすぎる注文は横に置いておくとして、竜王の信玄堤でやる浅間神社の祭礼の女装した男性が神輿を担ぐ「おみゆきさん」というのを、番組を視聴するまで私は知りませんでした。ただ富士山の木花咲夜姫が気難しいというか怒りっぽくて、自分より容姿が美しかった八ヶ岳を嫉妬によってぼっこぼこにした(ぼっこぼこにされた八ヶ岳は富士山より美しいとはされなくなった)、という伝承を知ってるので、女装した男性があんまり美しく装うことをしてなかったのはすごく理解できました。怒らせてぼっこぼこにされたら困るわけで。

また甲府盆地フィリピン海プレートに引きずられて1年で1mmずつ沈下してるというのも知りませんでした。10年で1cm、100年で10cmとすると信玄公の時代からすると40cm以上沈んでると思うと理屈は理解してるつもりなのですがやはり理解が表面的なのかなんだかとても不思議な気がしました。

知ってる土地のブラタモリの回はいつもそうなのですが45分があっという間でした。47都道府県制覇して行き尽くした感はあるのですがまだ取り上げる価値のある場所があることを思い知らされました。今後もマニアックで濃い放送を期待したいです。